私が2013年11月11日に個人事業主として開業して丸4年、2017年11月12日より5年目に突入しました。これまでの歩みを振り返り、何をしてきたか何を得てきたか、何を失い犠牲にしてきたか、今後フリーランサーとしてどうしていくのかどこを目指すのか、心の棚卸しをして総括してみたいと思います。
第1話はどうしてフリーランスになったのか、など特に最初を振り返りたいと思います。
決意を決めた2013年10月
私がフリーランス(個人事業主)として働きたいと思ったのはこの月でした。
すでに会社を辞めることは決まっていましたが、これからまた会社員になるか、フリーランスになるかを迷っていた時に、当時の上司と最後に大喧嘩をしてしまいます。
そこで言い放たれた一言「そんなにいうなら自分ひとりでやってみればいいじゃないか!」と言われたことで吹っ切れてしまい、会社員としての未練をスッパリたち一切の転職活動をやめました。
そこからは猛烈に勉強し調べ、ありとあらゆる講習会やセミナーに通い、フリーランスとして活動をする上で必要な知識を溜めました。
絶対に忘れない日、2013年11月11日
さてフリーランスとして活動するにあたり世間的にも堂々と振る舞えるためにも、中途半端に生きたくなかったので、絶対に開業して、個人事業主(いわゆる自営業者)として生業をたてることを決意しました。
その自分の決意を国に提出する意味を込めて、直近で最も覚えやすい日であった11月11日を開業の日として、税務署に開業届を提出し、晴れて私はフリーランサーとなったのです。
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世間は自分のことを誰も知らない
晴れてフリーランサーとなった日。自営業の看板を掲げたところで私のことを誰も知らないし、とくにSNSで宣伝もしませんでした。何をどうまわりに伝えればいいのかもわからず、まずは営業ツールとして必要なものを揃えました。
名刺とHPを作成する
取り急ぎ必要なものとして名刺はいるだろうと思い名刺を作成。急いで作ったのでシンプルで味気ないものでしたが、はじめて出来た名刺には嬉しさと恥ずかしさもありつつ、セミナーや友人の紹介で会う方や色んな人に配っていたのを覚えています。
セミナーや講習会に多く参加する中で気がついたことがあります。それは自分と同じ思いをもったフリーランサーはなかなか出会えないということ。100人いれば100通りの生き方があり、フリーになったタイミングも違うため、自分が相談したい話したい思いを伝えられないことが多かったですね。
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はじめて仕事の依頼が舞い込む
はじめての仕事の依頼は、前職さらにその前にお世話になった会社の方からの依頼でした。単発案件や1ヶ月の制作案件、毎週更新の運用案件と3つ依頼をいただけました。
やっぱりこの仕事を続けてよかった、自分の技術が評価された、人間関係を大事にしてきてよかったと改めて感じましたし、お声がけくださった方々には感謝しかありません。
仕事自体はとくにトラブルもなくスムーズにこなせましたがお金のことで問題が発生します。
自分の作業単価を決めなかったことが苦しむ原因になる
最初は仕事がもらえたことが嬉しくて、いくらでもいいです!とかお安くやります!とかいってバンバン受けてました。しかしフリーになると出費が意外に多くて、支払いと収入がトントンになってしまい、全然儲からなかった時期が3ヶ月ほどつづき、休みもなく自転車操業状態に陥ります。
フリーとしての致命的挫折を味わう、そして後悔
今でもはっきりと覚えていますが、フリーになって最も大きな挫折をします。
フリーになって3ヶ月目の2014年2月に知り合いから、Wordpressを使ったWEBサイト制作案件の仕事があるから、依頼内容を聞きに行って欲しいとある人物を紹介されます。
ドキドキ不安と楽しみが混ざったはじめての直取引
クライアントまではどういう繋がりかというと、
私→①知り合い→②知り合いの上司→③上司の友人→④友人の取引先の人→⑤そのお嬢さん(サイト)
という遠い遠いなつながり。
私は「③上司の友人」「④友人の取引先の人」の二人と打ち合わせをし依頼内容を確認、その後のデザイン詰めなどは「⑤そのお嬢さん」のやりとりをしてきました。
海外サーバーで運用したいとの要望で、なぜかその設定も私はすることになっていたりして、準備や設定などもややこしくこの点でも頭を悩ませました。
しかもそのお嬢さんは海外生活をしているため日本と昼夜が逆転しており連絡がままならず、フィードバックもなく締切だけが迫る日々。私はこのままではまずいと思い、「④友人の取引先の人」つまりお嬢さんのお父さんに相談し何とか制作を続けたものの、デザインリテイクを3回ほどつきつけられたところで半ギレしてしまいます。
こちらのデザイン趣旨やお嬢さんのご要望を踏まえて制作している、お嬢さんも納得していただいたものを、お父さんに全てひっくり返されてはたまらないと伝えたところ、
「娘のことは父の私にはよくわかる、このデザインは娘のイメージじゃないし、そのようなものを頂いても困る。
あなたは人がいらないものを売りつけるのか、」
と激しく言われて自分に対して明確な「NO!」を突きつけられてしまいました。
そしてその夜、積もり積もったストレスでこれまで気を張っていた私の心が折れました。
依頼を受けた仕事を途中で降りてしまう
もうひとりではらちがあかないところまできていたので、⑤お嬢さん以外の人たちに対して、今回の仕事を降ろさせてもらう旨を伝えしぶしぶ了承していただきました。
WordPressのコーディングもありましたが、デザインワークのみで降ろさせてもらいました。
こんなものいらない言われたデザインデータも買い取っていただく方向でデザイン料の7万を受取終了。
このお金すら払いたくないと言われ、振込手数料は負担してもらうからな!といって、勝手に振込手数料を引いて振り込まれていました。
2ヶ月間を費やしたこの時期はホントに心と体がボロボロで、何のために仕事をしたんだろうと悲しくて悲しくて、フリーになってはじめて後悔した時でした。
この教訓を得たことでフリーとして更に強くレベルアップした
多かれ少なかれ、フリーで仕事をする方はこういう経験をしていると思います。フリーのトラブルは一撃ダメージが大きいです。レベル1の人間に痛恨の一撃を食らったら即死ですよね。
レベルも装備もまともに揃ってないとこういうことになります。
私はフリーとしての責任や自覚や使命感が足りなかったし、初見で出会う方と1対1で仕事をする技量も器もなかったのです。
もしかしたらそもそもそういう仕事には向いていないかもしれません。
それから以後、私は初見の方との制作の仕事は段階的に受けることにし、初回は10万以下の案件のみとして、お互いを知ってから段階的な依頼をもらうようにしています。あとは紹介者から遠くなるクライアントは一切お断りしています。直取引の怖さや難しさを経験した結果、今は自分自身のデッドラインを明確に持つようにしています。
自分を救ってくれるのは自分の信念だけ
同じ過ちを繰り返さないと心に決めて、以後の契約には絶対慎重になることそして契約内容、報酬、スケジュールをよく詰めることを事前に行うようにしています。
提出された契約書も隅から隅まで読み、分からない単語は調べて必要があればクライアントに説明を求めます。
契約内容をクライアント主導で進めるのは、フリーの人材にとってかなり危険です。それに巻き込まれないような自分自身の契約書の作成や、どんなに言われようが自分自身が働くにあたって欲しい最低金額の設定、そしてそれをいつでも提示できる状態にしておくことが契約上の自己防衛にもなり、逆に自分が気持ちよく全力で仕事ができる追い風でもありますね。
私にはこの2月〜4月の挫折案件がフリーランサーとしての生き方にかなり大きな影響を与えました。そこで様々なことを反省し学び、それが現在まで生かされてます。
たまにしんどくなった時はこの経験を思い出し、あの当時と比べて今の自分はどうなのかを比較して、自分が何をすべきなのかを自問自答するようにしています。
大きな失敗や挫折や後悔を経て人間は成長し強くなります。思い出せばつらい過去ですが自分自身が強く成長することで心の傷が癒えて、次の1歩が踏み出せるはずです。
次回は、このフリー初期のできごとから、現在までどのように仕事をしてきたかを振り返りたいと思います。